この国は本当にブラック企業に優しい国だ。もはや愛が止まらないらしい。
ブラック企業は残業代を払わない。そして長時間労働をさせる。時に過労死に追いやるほどに。
1.超軽い罰則
きちんと残業代を払う企業なら,長時間労働などさせることはできないだろう。コストがかかり過ぎるからである。
残業代を払わないからこそ長時間労働をさせることが可能になる。
ところで,残業代不払いに対する罰則は6カ月以下の懲役または30万円以下の罰金である(労働基準法119条)。
運用上はまず懲役刑になることは無いので,事実上,30万円の罰金が上限。
ぬるいと思わないか。
過労死につながりかねない違法行為がたったの30万円。
いかにこれが安いか,他の法律と比べると際立つ。
例えば,著作権法。
著作権侵害に対する罰則は10年以下の懲役若しくは1000万円以下の罰金。
これは個人に対するもので,法人に対する罰金は最高で3億円である。
次に,特許法。
特許権侵害をした者には10年以下の懲役若しくは1000万円以下の罰金。
法人に対しては最高で3億円の罰金。
最後に,金融商品取引法。
例えば,有価証券報告書の重要事項に虚偽の記載のあるものを提出した場合は10年以下の懲役若しくは1000万円以下の罰金。
法人に対しては最高で7億円の罰金である。
残業代不払いに対する罰則が他と比較していかに軽いかお分かりいただけただろうか。
たったの30万円では違反してくださいと言っているようなものである。
人の命にかかわる違法行為だというのに。
2.労働時間の記録が法律で義務付けられていない
労働基準法には,使用者に対し,労働者の労働時間を記録するよう義務付ける条文が存在しない。
だから,ブラック企業は労働時間の証拠を残さないようにする。
これは以前人から聞いた話だが,過労死事件を起こし,遺族に多額の賠償金を支払ったとある企業が何をしたか。
タイムカードを廃止したのである。
タイムカードが長時間労働の証拠となり,過労死が認められてしまったからである。
「過労死の再発」を防ごうとしたのではない。「過労死と認定されてしまうことの再発」を防ごうとしたのである。そして変わらず長時間労働をさせ続けているそうである。
人の命など,何とも思っていない。
だが,このタイムカード廃止が違法にならない国が日本。
そして,こんな会社で労働者側が自分で労働時間を記録していなかった場合どうなるか。
多くの場合,泣き寝入りを強いられるのである。証拠が無いから。
罰則が軽い上に,使用者側が証拠を残さない場合もあるため立証も難しい。ついでに言えば,だいたい是正勧告で済んでしまい,残業代不払いが立件されることは極めて少ない。
「自分の会社はブラック企業かもしれない」と思ったら必ず自分の労働時間を記録しなければならない。メモでも良いし,スマホアプリでもよい。とにかく記録すること。
3.少なすぎる労働基準監督官
さらにさらに,日本は労働基準法違反を取り締まる労働基準監督官の数が圧倒的に足りない。
やや古いが2011年11月に全労働省労働組合が公表している下記の資料から重要部分を引用する。
http://www.zenrodo.com/teigen_kenkai/img/rodougyouseinogenjou.pdf
また、労働条件の最低基準を確保する役割を持つ労働基準監督署について見てみると、全国に配置される労働基準監督官は約 2,941 人(※本省 23 人、労働局 444 人、労働基準監督署 2,474 人(実際に臨検監督を行う監督官は、管理職を除くため 2,000 名以下となる)であり、全国に 1 人でも労働者を使用する事業は約 409 万事業場(※「平成 18 年事業場・企業統計調査」より)の臨検監督を実施する場合、監督官1人あたりにすると1,600件以上で、平均的な年間監督数で換算すると、すべての事業場に監督に入るのに 25~30 年程度必要な計算となります(※平成 22 年度は 174,533事業場を監督し、監督実施率は 4.3%)。 雇用者 1 万人当たりの監督官数で比較すると、日本は0.53 人となり、アメリカを除く主要先進国と比して 1.2 倍~3.5 倍の差があります(【表2】)。平成20 年度に実施した監督の労働基準法等の違反率は 68.5%(【表3】)であり、3 分の 2 以上の事業場で法律違反があることから、日本においては労働者の労働条件が十分確保されているとはいえない状況です。
罰則が軽い上に,取り締まる側の人の数が圧倒的に足りない。
平成22年度の監督実施率4.3%って・・・ほぼ野放しじゃないか。
これは2011年に公表された資料だが,きっと今だってそんなに変わらない状況だろう。
まあ,なんてブラック企業に優しい国なんでしょう。
4.裁量労働制
裁量労働制というのは,労働者に出退勤時間等についての裁量を認める代わりに,一定時間働いたものと「みなす」制度である。
企画業務型裁量労働制と専門業務型裁量労働制があり,一定の要件を満たすと適用可能になる。
例えば9時間のみなし労働の場合,12時間働いたとしても9時間しか働いていないものとみなされる。
裁量なんて全然無いのに。
合法的(少なくとも形の上では)に残業代をカットしたいだけ。これは過労死の温床となっている。
なお,同じく労働時間の「みなし」が適用されるものとして事業場外労働がある。
要するに外回りの営業マン等,会社の外で働く人の場合,どれくらい働いているか分からないので,一定時間働いたものとみなす,というものである。
しかし,携帯端末が普及した今,営業マンがどこで何しているかなんて簡単に把握できる。だからこの制度が適用される余地なんて携帯電話すら持たせていない場合ぐらいしか思いつかない。しかし,この制度を悪用して残業代をカットしている企業は多いだろう。
合法的に残業代をカットできる制度まで用意するなんて,なんてブラック企業に優しいんでしょう。
5.求人詐欺野放し
この国がブラック企業に優しい点はまだある。求人詐欺が野放しになっている。
詳しくは下記のサイトに書いてある。
要するに嘘の求人情報を書いて求職者を騙すのである。
一番ポピュラーなのは固定残業代。例えば基本給20万円と書いてあった企業に応募し,入社してみたら「20万円には残業代も含まれています」とか言われて一切残業代が払われない,というようなケースである。
こんなあからさまな詐欺が野放しになっている国。日本。
こんなんじゃ給料が上がらないはずだよ。
ブラック企業問題は経済問題としても捉えないとダメだよ。使い捨てられるわ給料ごまかされるわでどんどん経済に悪影響及ぼすぞ。いや,もう及ぼしてるか。
6.とどめの残業代ゼロ法案
しかし,こんなただでさえブラック企業に優しい国日本がもっとブラック企業に優しくなろうとしている。
残業代ゼロ法案を成立させようとしているからである。
詳しくは下記のサイトでどうぞ。
「時間ではなく成果で評価する制度」とか言われているが本当に真っ赤な嘘である。
大本営発表を垂れ流し続けるマスコミは自分で法案の条文を見たことがあるのか。
成果給を義務付ける条文などどこにもない。
この法案は単に残業代をゼロにするものである。ブラック企業の残業代不払いを合法にするものである。
与党が圧倒的に強い今,審議入りされたらほぼ確実に通ってしまう悪魔の法案。
長時間労働のブレーキが消えてしまう。ホワイトな企業までブラックになりかねない。
この国はもっともっとブラック企業に優しくなりたいんだな。
ブラック企業が愛しくて愛しくて仕方がないらしい。
ちなみに,反対ばかりでいつも対案を出さない等と批判されている野党側はきちんと対案を出している。下記サイトを参照。
この野党側の対案で提示されていることに加えて,私が是非実現してほしいと思っているものは下記のとおり。
(1)残業代不払いの厳罰化
罰金1億円ぐらいでもいいと思っている。今のままでは「残業代払わない方がお得」と思われているように感じる。
残業代を払いたくないなら残業をさせなければいい。残業をさせないようにするにはどうしたらいいのか,それを考えるのが経営者の仕事。
そして,残業ゼロできちんと会社を維持できるのが優秀な経営者。
(2)残業代不払を公表された企業は,求人票にそれを明記することを義務付ける。
こうすればブラック企業は人を集めることができなくなって次第に淘汰されていくだろう。明示期間は3年ぐらいでいいんじゃないか。
犠牲者を増やさないためにもこれは重要だと思う。
(3)労働基準監督官の大幅増員
前述したとおり,労働基準監督官の数が足りなすぎる。圧倒的に増員してほしい。これは人の命にかかわることなのでお金を惜しまないでほしい。
君の縄。
「君の名は。」という映画がヒットしているそうである。
kiminonawa・・・・
君の縄。。。。。
というわけで,縄の話をしたいと思う。
縄と言えば岡口基一裁判官である。
以前,岡口裁判官が縄で縛られている上半身裸の写真をツイッターに投稿したことが話題になった。
その問題のツイートがこちらである。
大阪に住んでた頃,行きつけの飲み屋に,午前3時頃になると,隣のSMバーの女王様が店を閉めて飲みに来るんだよね。せっかくだからってことで俺が実験台になって縛ってもらいました(^_^)
— 岡口基一 (@okaguchik) 2016年3月11日
その後は,酒はストローで(^_^) pic.twitter.com/CEmiuN7p2Y
裁判官らしからぬマッチョボディ。この大胸筋をもってすれば,大胸筋をピクピクさせてモールス信号を打つことも可能であろう。そしてそれを締め付ける縄。
これを見た戸倉三郎東京高裁長官より,岡口裁判官は厳重注意を受けた。
そして,それがテレビでも取り上げられた。
注意を受けたツイートはもう一つあるがそれについては省略。
これを「裁判官なのにけしからん」と受け止める陣営と,「別にいいじゃん。犯罪でもないし」等と擁護する陣営に分かれていたように思う。
私はどう受け止めたか。
この写真はアートだと思った。
「縛られたオッサンの写真のどこに芸術性があるんだよ」と一瞬思われたかもしれないが,この写真から発せられるメッセージをよく考えれば納得していただけるだろう。
裁判官は一般人と比べて自由な人達かというと・・・。皆さんのイメージはどうだろうか。あまり自由な人達ではない気がしないだろうか。
この件だって,普通の会社に勤務するオッサンだったらニュースにならないのに,こんな大きなニュースになってしまった。
世間が「裁判官は生真面目で,こんなことするわけないし,してはいけない」と思っているからであろう。そして裁判官達自身もそのような認識を持っているのではないかと思う。だから,私生活でも裁判官達はあんまり目立たないようにしているのではないか。
上の意向ばかり気にしているという意味で「ヒラメ裁判官」という言葉もあるくらいだし。
ツイッターやフェイスブックで言いたいことを言ったり変な写真をアップするなんてことをしている裁判官は岡口裁判官以外にいないと思う。
つまり・・・裁判官達は縛られているのである。精神的な縄に。
しかし,岡口裁判官はどうだろう。ツイッターでもフェイスブックでも言いたいことを言っている。ネタ的なものもあるが,勉強になるものも非常に多い。
そしてブリーフ一丁の写真等,肉体美を見せつける写真を多々投稿している。
つまり,縛られていない。精神的な縄に。
縛られていないからこそ,あんな写真をアップできるのだ。
すなわち,あの写真は「縛られている自分」を写すことで「縛られていない自分」を表現しているのである。
あの写真に込められた真意は,表向きのこととは真逆のことなのだ。
アートっ・・・!
圧倒的アートっ・・・!
縛られているのに,縛られていないという矛盾ッッ!!
この,「表向きのこととは真逆のこと」を伝えるというテクニックは,別の場面でも披露されている。
国民の皆様へ
— 岡口基一 (@okaguchik) 2016年6月21日
さて,私こと,本日,ツイッターに不適切なつぶやきをしたということで,所属庁の長官から正式な口頭注意処分を受けました。https://t.co/OYfgREOSUWhttps://t.co/Q1BdvV5b4X pic.twitter.com/nIDoueYQti
一見,不適切なツイートについて謝罪しているように見える。
だが,その問題となったツイートのリンクを貼っているのがミソである。
こうやってリンクを貼られたら,見てしまうではないか。
見てしまった人は拡散してしまうではないか。
戸倉三郎東京高裁長官がけしからんと判断したツイートが再度拡散してしまうではないか。
そして,案の定大拡散した。テレビで取り上げられるほどに。
「火を消します」と言って灯油をかけるような行為である。
そして・・・まだ削除されていない。
一見謝罪しているようで,謝罪していないようにも受け取れる。
本当に高裁長官の意に沿うようにするのであれば,アカウントを削除するのが一番だろう。
しかし,アカウント削除どころか,問題となるツイートを拡散させる仕掛けを施した。一見謝罪しているように見せかけて。
そして,岡口裁判官のツイッターのホーム画面を見れば分かるが,未だにブリーフ一丁の写真のままだ。騒動の前後で全くブレていない。
見事である。痛快である。
この「表向きのこととは真逆のメッセージを込める」という手法をオカグチズムとでも名付けようか。
正面切って反発すれば角が立つ。しかし,オカグチズムの手法を使えば相手も文句は言えない。表向きは相手の意に沿っているように見えるのだから。
器の小さな権力者に対抗するための効果的な手段と言えるかもしれない。
昨今萎縮しまくっているように見えるマスコミの方々に是非見習って欲しいものである。
ところで,あの写真を見て批判したくなる人は「裁判官はこうあるべき」というようなステレオタイプなイメージを自分の中に持っていないだろうか。
そのイメージに縛られているから,批判したくなるのである。
縛られている。。。つまり,あの写真は見る者の縄をあぶり出すのだ。
自分が作り出した縄に縛られている。だから批判したくなる。
正にそれは「君の縄。」
「縛られているのは私ではなくてあなたじゃないですか?」
あの写真はそう問いかけているようにも見ようによっては見えるのである。
ところで,何故岡口裁判官は実名でツイッターをしているのか。
こんなツイートがある。
どうして匿名でツイートしないのですか?また、実名でツイートすることでどんな見返りを求めていますか? — 元々は,あまりにも萎縮しまくっている若手裁判官達に対し,もっと自由になっても大丈夫なんだよ。もっともっと市民的自由を謳歌... http://t.co/zC88rkwlag
— 岡口基一 (@okaguchik) 2015年4月5日
途中で切れていて,続きが書いてあったであろうリンク先も今は見ることができない状態だが,「萎縮しまくっている若手裁判官達に対しもっと市民的自由を謳歌していいのだよ」と言うために実名でツイートしている,と読めるだろう。
実にカッコイイと思う。
ちなみに岡口裁判官は「要件事実マニュアル」という本を書いていて,これは法曹実務家必携といって良い名著である。
このような名著を書いている上に,面白いツイートやフェイスブックの投稿をしているので,彼は業界ではとても人気のある裁判官である。
ただの露出狂ではない。
縛られていないが故に投稿できた縛られた写真。
これを見て,自分を縛る精神的な縄に思いをはせてみるのも一興ではないだろうか。
↓話は変わりますが最近本を出しました。
シン・ゴジラと自衛隊と法律
シン・ゴジラを見た。面白かった。面白かったので2度見した。
私が映画館で2度見した映画は他に「永遠のゼロ」しかない。
ここからは超絶ネタバレなのでネタバレが嫌いな人は読んではいけない。
見る人によって面白いと思うポイントは違うと思うが,私は法律の適用関係について興味を持ったのでちょっと深く調べてみた。
まず,ゴジラを撃退するために自衛隊を出動させなければならない。
では,その根拠法律はどうなっているのか。
自衛隊法第六章「自衛隊の行動」は自衛隊が出動できる場合を規定している。
例えば,防衛出動。
(防衛出動)
第七十六条 内閣総理大臣は、次に掲げる事態に際して、我が国を防衛するため必要があると認める場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。この場合においては、武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律 (平成十五年法律第七十九号)第九条 の定めるところにより、国会の承認を得なければならない。
一 我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態又は我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至つた事態
二 我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態
ちなみに二号に書かれているのがいわゆる集団的自衛権である。
ここで問題になるのが,ゴジラが「外部からの武力攻撃」に当たるか,ということである。
「外部からの武力攻撃」というのは普通に考えれば外国の軍隊が武器をもって日本を攻撃した場合を指すだろう。
しかし,ゴジラは単なる一生物だから,それが何をしようと「外部からの武力攻撃」には該当しないだろう。映画の中でもそのような判断をしているセリフがある。
では,他の条文ではどうか。
例えば,災害派遣。
(災害派遣)
第八十三条 都道府県知事その他政令で定める者は、天災地変その他の災害に際して、人命又は財産の保護のため必要があると認める場合には、部隊等の派遣を防衛大臣又はその指定する者に要請することができる。
ゴジラが自然災害の一種であることは誰も争わないだろう。だからこの災害派遣なら自衛隊を出動させることができそうである。
だが,大きな問題がある。それは,災害派遣は武力行使ができないこと。
(防衛出動時の武力行使)
第八十八条 第七十六条第一項の規定により出動を命ぜられた自衛隊は、わが国を防衛するため、必要な武力を行使することができる。
2 前項の武力行使に際しては、国際の法規及び慣例によるべき場合にあつてはこれを遵守し、かつ、事態に応じ合理的に必要と判断される限度をこえてはならないものとする。
第七十六条第一項とは防衛出動のことである。自衛隊が武力行使できるのは,自衛隊法上,防衛出動だけなのである。
なお,治安出動(自衛隊法第七十八条第一項又は第八十一条第二項)の場合は,「武器の使用」が認められているが(同法八十九条,九十条),「武力の行使」が認められているわけではない。「武器の使用」だと治安維持のために発砲するとかそれくらいしかできないのだと思う。
つまり,ゴジラにミサイルや大砲をぶっ放したいと思ったら,「防衛出動」しかないのだろう。
結局,映画の中では,「超法規的措置」として戦後初の防衛出動を決定し,かつ,事前の国会承認も事後に回していた。
法的に見ると明文にない国家緊急権を行使したと言えるかもしれない。
国家緊急権を明文に定めておくべきか否かについては争いがある。明文が無くても行使できるという考え方も有力である。
例えばこの本の著者である橋爪さんは,明文に無くとも国家緊急権を行使してもよい場合があると主張している。
防衛出動と同時に,もう一つ決定されたものがある。災害対策基本法に定める災害緊急事態の布告である。
(災害緊急事態の布告)
第百五条 非常災害が発生し、かつ、当該災害が国の経済及び公共の福祉に重大な影響を及ぼすべき異常かつ激甚なものである場合において、当該災害に係る災害応急対策を推進し、国の経済の秩序を維持し、その他当該災害に係る重要な課題に対応するため特別の必要があると認めるときは、内閣総理大臣は、閣議にかけて、関係地域の全部又は一部について災害緊急事態の布告を発することができる。
これで何か変わるかというと,同法百九条の緊急措置が執れるというところが大きいと思う。
第百九条 災害緊急事態に際し国の経済の秩序を維持し、及び公共の福祉を確保するため緊急の必要がある場合において、国会が閉会中又は衆議院が解散中であり、かつ、臨時会の召集を決定し、又は参議院の緊急集会を求めてその措置をまついとまがないときは、内閣は、次の各号に掲げる事項について必要な措置をとるため、政令を制定することができる。
一 その供給が特に不足している生活必需物資の配給又は譲渡若しくは引渡しの制限若しくは禁止
二 災害応急対策若しくは災害復旧又は国民生活の安定のため必要な物の価格又は役務その他の給付の対価の最高額の決定
三 金銭債務の支払(賃金、災害補償の給付金その他の労働関係に基づく金銭債務の支払及びその支払のためにする銀行その他の金融機関の預金等の支払を除く。)の延期及び権利の保存期間の延長
国会の措置を待つことができない場合に限るが,内閣が物資の統制や債務の支払延長等について政令を定めることができる点が大きなポイント。
また,内閣総理大臣が国民の協力を求めることができるということも書いてある。
(国民への協力の要求)
第百八条の三 内閣総理大臣は、第百五条の規定による災害緊急事態の布告があつたときは、国民に対し、必要な範囲において、国民生活との関連性が高い物資又は国民経済上重要な物資をみだりに購入しないことその他の必要な協力を求めることができる。
2 国民は、前項の規定により協力を求められたときは、これに応ずるよう努めなければならない。
ただ,国民は協力を求められてもこれに応じる「義務」までは無い。あくまで応じるよう努力してねと書いてあるだけである。
つまり,国民の意思に反して強制的に協力させることまではできない。
無人新幹線爆弾とか無人在来線爆弾とかゴジラ周辺の超高層ビルの爆破とかはこの条文を根拠に国民に協力を求めて同意を得て実現したことになるのかな?
ただ,新幹線や在来線の車両はJR東海やらJR東日本から同意を得られれば良いであろうが,超高層ビルについては一筋縄ではいかない。
超高層ビルは権利者の塊である。所有者の他,賃借人がたくさんいる。賃借人が使用している物の中にはリース会社の所有物もたくさんあるだろう。
これらの権利者全てから同意を得てビルを破壊するのは不可能じゃないか。だからきっとあれは同意を得ずにやったのだということになると思う。
これを超法規的措置としてやったのか,あるいは,作中でたくさん制定されていることが示唆されているゴジラ関連法案の中でできるようにしておいたのか。後者と考えるべきかな?
ゴジラが東京駅付近で停止してからヤシオリ作戦を実施するまでは確か2~3週間ぐらい(ここらへんの記憶はあいまい)はあったかと思うので,作戦に備えた法令を整備するのは不可能では無いと思う。多分。。。
ちなみに現行法でも国民の同意を得ずに何かできる条文はある。
例えば災害対策基本法の応急公用負担。
(応急公用負担等)
第六十四条 市町村長は、当該市町村の地域に係る災害が発生し、又はまさに発生しようとしている場合において、応急措置を実施するため緊急の必要があると認めるときは、政令で定めるところにより、当該市町村の区域内の他人の土地、建物その他の工作物を一時使用し、又は土石、竹木その他の物件を使用し、若しくは収用することができる。
2 市町村長は、当該市町村の地域に係る災害が発生し、又はまさに発生しようとしている場合において、応急措置を実施するため緊急の必要があると認めるときは、現場の災害を受けた工作物又は物件で当該応急措置の実施の支障となるもの(以下この条において「工作物等」という。)の除去その他必要な措置をとることができる。この場合において、工作物等を除去したときは、市町村長は、当該工作物等を保管しなければならない。※3項以降は省略。
これをヤシオリ作戦に適用できるかというとできないだろう。まず軍事作戦を「応急措置」と解釈するのは無理だと思う。
この条文は地震が起きた時等に,ちょっと建物を借りて被災者の治療をしたり,救助のために瓦礫を除去できるようにするためにあるものなのだろう。だから場面が違い過ぎる。
ちなみに・・・自民党憲法改正草案における緊急事態宣言が発せられた場合,ヤシオリ作戦は問題無く実施可能であると思われる。それは下記の条文があるから。
緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。
つまり,緊急事態宣言が発せられた場合,国民にはヤシオリ作戦に従う義務があるということである。
なお,「最大限の尊重を要する」として例示されている権利の中に,財産権(二十九条)は含まれていない。例示されている権利に比べると,財産権は一段重要性が下がるということなのだろう。
この条文があると,作戦を実施する国は国民の財産権の保護をあんまり気にしなくてもよいと言える。勝手に無人新幹線爆弾や無人在来線爆弾を使い,ビルを爆破しても問題無いということになるだろう。
それにしてもヤシオリ作戦開始時の新幹線が突っ込むシーンで流れた音楽は勇壮だった。私はあそこで一番テンションが上がった。
「宇宙大戦争」という曲名らしい。どこかで聞いたことがある。昭和感溢るる名曲である。
ところで,ゴジラは凍結して止まっただけである。
まだ終わってはいない,ということだ。いつ動きだすか分からない。
この映画を見て,私だけでは無く,多くの人が福島第一原発事故を思い浮かべただろう。
映画の中でゴジラに立ち向かっていった人達と同じように,命を賭して事故の収拾にあたった方々がたくさんいた。いや「いた」ではない。今も収拾に当たっている。
現実の方が厳しい。
事故収拾に向けて闘い続けている方々がいて,その方々1人1人にかけがえのない人生があり,家族がいる。その上に自分たちの生活は成り立っていることを忘れてはいけないと感じた次第である。