俺は年賀状を辞める。
高尚な理由は無い。
面倒くさいだけである。
もらったら嬉しい。返さなきゃいけないかなとも思う。
去年はもらった人には返していた。
しかし!今年はそれもしない!
おれはすっぱりと辞める!
「出さないと失礼だと思われるかもしれない」等という日本人的同調圧力に俺は立ち向かう!
失礼上等!俺は自分を優先する!
あて先を書き,ちょっと一言添えるぐらいの何てことないひと手間を俺は全力で惜しむ!
そして!「ああ!年賀状書かなきゃいけないや~」という憂鬱から俺は開放されるのだ!
想像してみてほしい!年賀状書かなかったぐらいで,久しぶりにあった人から「お前俺が年賀状書いたのに返事くれなかったよね。もう絶交。」なんて言われるだろうか!
言われない!ていうか多分会う機会無い!
よく会う人でもそういうこと面と向かって言える日本人離れしたメンタリティ持ってる人いない!
そもそも,「返事もらってねえじゃん!」て気づいているかどうかすら怪しい!
自分だったら気づかない!
気付いててもそんなに気にならない!
2月になったら忘れてる!
と,いいように考えて辞めてみる。
高尚な理由は無い。ただめんどくさいだけだ。
人に気を使うのって,逆に自分が無駄に損するだけじゃないの。と私はある事件をきっかけに思うようになった。
話は飛ぶが,その事件について語ろうと思う。
その事件の名を「守口大根事件」という。
名古屋のお客さんから,名古屋出張の帰りに,「漬物は好きですか」と聞かれた。
私はわりと好きな方なので「好きです」と答えた。
じゃあこれをあげましょう!と言ってお客さんが買ってくれたのが守口大根である。
守口大根を愛する全ての人に予め謝罪する。ごめんなさい。守口大根を愛する人はこの先を読まないでください。
俺は守口大根がとぐろをまいた細長いウ〇コにしか見えなかった。
しかもね,幾重にもとぐろを巻いてるの。あれが本物のウン〇だったら匠の技よ。
その〇ンコがね,これまた厳重に保護されているんですよ。
まず包装紙がありますね。それを開けると木箱。それを開けると,ビニールに入った守口大根なんですよ。
で,そのビニールがね,また幾重にも重なっているんです。
木箱を開けたらビニール,ビニールを開けたらまたビニール,そのビニールを開けたらまたビニール。
マトリョーシカか!
そして,私のもらったその守口大根て,カットされてないんです。
だから切らなきゃいけない。
しかも酒粕まみれだから切ろうとすると手もべちょべちょ。
私,腰痛持ちなんです。
その腰痛持ちが,かなりの時間をかけて幾重にも重なったサッカーイタリア代表真っ青のカテナチオをぶち破って長大な守口大根をカットしたんです。
腰痛が悪化しました。
で,食べたんです。
辛えよ!
セルジオ越後の解説より辛えよ!
こんな辛いはずは無い。私ね,酒粕つけっぱなしで食べたんですよ。
ひょっとして酒粕落としたらこの辛さどうにかなるんじゃないかなって思ったんです。
で,酒粕落として食べたんですよ。
辛えよ!
セルジオ越後健在だよ!
悟ったんです。俺の口には全く合わないと。
いや,例えば白飯と一緒に食べれば程よい辛さに落ち着くかもしれない。
でもね,俺,その当時炭水化物抜きダイエットやってて,白飯食べてなかったんですよ。
もうこれ,どうしようもねえやと。
俺はバラバラにした守口大根をタッパーに封印して,冷蔵庫に入れたんです。
それが2年前。
今もそいつは冷蔵庫にいる。
俺,この時思ったんです。
あの時本当はいらないと思ったし,手荷物が増えるから本気で迷惑だった。
でも,気を使ってもらってしまった。
その結果はどうだと。
今も守口大根は冷蔵庫の主のように鎮座している。
気を使った結果,無駄に損してないか?って思ったんです。
なあ,そんなに気を使う必要あんのか,この一度きりの人生。
気を使わなくても意外とその後のダメージでみんなが思ってるよりはるかに少ないんじゃないの,って思ったんです。
これ,いろんな場面でありませんか?
付き合いの飲みとか。
「俺行きません」キャラ確立している人見ると羨ましいなと思うし,俺は別にその人悪く思わないし。仕事に支障出ないし。
嫌われる勇気があれば,もっと気楽に人生生きられると思うんだ。
いや,そもそも,「人に気を使わない」っていうのは,意外と人に嫌われないんじゃないか。程度にもよるかもしれないけど。
そんな人いるじゃない。図々しいのになぜか愛される人。
だから俺は年賀状を辞めるぞジョジョ~!!